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長野地方裁判所松本支部 昭和44年(ワ)2号 判決 1970年2月05日

原告

甲斐沢文子

被告

東洋通信工業株式会社

ほか二名

主文

被告らは各自原告に対し、金二、七〇〇、〇〇〇円および、これに対する昭和四三年三月二七日から完済まで、年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分し、その四を原告の負担とし、その余は被告らの連帯負担とする。

この判決第一項は、原告において金四〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、かりに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告らは各自原告に対し、金四、六六三、五〇〇円および、これに対する昭和四三年三月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。」との判決ならびに第一項につき仮執行宣言を求め、その請求原因ならびに被告主張に対する答弁として、

一、(事故発生)

甲斐沢誠は、昭和四三年三月二六日午後一〇時二五分頃、長野県南安曇郡穂高町四、五〇八番地先、国道一四七号線道路を歩行中、大町市方面から豊科町方面に向つて進行して来た被告永井の運転する普通乗用自動車(松本五す三一九一号、以下本件自動車という)に衝突され、脳底骨折の傷害を受けて即死した。

二、(帰責事由)

(一)  被告両会社は、次の理由により本件自動車を自己のため運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法第三条により、右事故により生じた損害を賠償する責任がある。すなわち、本件自動車は、被告永井が日産サニー長野販売株式会社から自己の名義で購入し、事故当時代金支払いが完了していなかつたので、その所有権は右日産サニーに留保せられていたものであるが、被告東洋通信には貨物自動車が二台乗用車が一台、被告信州電子には貨物自動車が一台あるのみで、被告両会社とも、その業務遂行には車輌が著しく不足していたため、被告永井は本件自動車を、被告両会社の業務のため常時利用しており、被告両会社ともこれを認容して、下請工場への部品機械の供給業務は殆んど本件自動車をもつてなし、その燃料代は被告両会社において全額を負担していた。そして、被告永井は昭和四一年九月頃、普通自動車運転免許を取得したものであるが、これに要した費用約金二五、〇〇〇円のうち金二〇、〇〇〇円は被告東洋通信において負担しており、免許取得後は被告東洋通信のため自動車運転業務に従事すべきことの指示を受けていたものである。したがつて被告永井は被告両会社の下請先から部品などの注文を受けると、その配達を自ら本件自動車によつてしなければならない立場にあつた。右の次第であるから、被告両会社が本件自動車の運行による利益を得ていたことはもちろん、購入代金支払いの点を除いては、本件自動車を自己の保有する車輛と同一に支配管理していたものである。

(二)  かりに前項の主張が認められないとしても、次の理由により被告両会社は本件事故による損害賠償責任がある。すなわち、被告東洋通信は、被告永井を同会社豊科工場製造課主任として雇傭し、系列会社である被告信州電子の委託により同会社常盤工場の工場長として同人を派遣し、下請外注先への発注、部品の供給、製品の受入などの業務を担当させていたもので、被告信州電子は被告永井を同会社常盤工場長として雇傭し(たゞし、給与は被告東洋通信において負担することとし、いわゆる出向社員として待遇する約定のもとに)同会社常盤工場における製造技術の指導、監督のほか外注先との連絡および部品の供給、製品の受入などの業務を担当させていたものであるところ、被告永井は、被告両会社の外注下請先である坂井義行方に下請部品の供給に赴いた帰途、本件事故を惹起したものであるから、被告両会社は、いずれも民法第七一五条により損害賠償責任がある。

(三)  被告永井は、本件事故当時、自動車の運転者として遵守すべき前方注視義務を怠り漫然進行し、かつ被害者を至近距離に発見してからアクセルとブレーキを踏みちがえた過失により前記の結果を惹起したものであるから、被告永井も本件事故により生じた損害を賠償する責任がある。

三、(損害)

(一)  甲斐沢誠は、池田農業高校卒業後、茨城県所在鯉渕学園(二年過程)で農業経営一般の学業を修得し、昭和四〇年五月一二日以降豊科町所在安曇農業協同組合に就職し、同組合穂高事業所畜産指導員として勤務していた健康な男子であり、事故当時二三歳(昭和一九年七月三一日生)で、右組合から基本給として月額金二一、〇〇〇円、残業手当、宿日直手当として平均一箇月当り金一、七四五円の支給を受け、そのほか期末手当および賞与として年間平均金一一六、八三六円(昭和四二年分)の支給を受けていた。

したがつて、甲斐沢誠は、本件事故がなければ向後四六、三七年の余命を有し、うち四〇年間は就労可能とみなされ、定期昇給などの利益要素を皆無として、生計費を標準世帯一人当りの消費金額である一箇月金一二、六〇〇円として、生涯における得べかりし利益金を新ホフマン式計算法により算出すると、

{(21000+1745)×12+116836-(12600×12)}×21.43=5163500

となり、本件事故により少くとも金五、一六三、五〇〇円の得べかりし利益を喪失した。

(二)  甲斐沢誠は、本件事故によつて一瞬にその生命を奪われ、ようやく安定した職を得てこれから人生の花を開かせようと努力して来た甲斐もなく、路上に冷い屍と化してその無念は限りなく、これを慰藉する金額としては金一、五〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

(三)  原告は、甲斐沢誠の母であつて、誠には配偶者および子がなかつたから、民法第八八九条により前記(一)(二)の損害賠償請求権を相続した。

(四)  原告は、本件事故により次男である甲斐沢誠を失い筆舌に尽し難い悲痛を味わつたが、被告らは原告に対し、示談による解決にも応ぜず、この苦痛を慰藉するには、遺族固有の慰藉料として金一、〇〇〇、〇〇〇円の支払いをもつて相当とする。

四、ところで、原告は本件損害賠償請求権につき自動車損害賠償責任保険による給付として金三、〇〇〇、〇〇〇円の支払いを受けたので、これを前記損害賠償請求金より控除する。

五、(結論)

以上の次第であるから、原告は被告ら各自に対し、いまだ補填されない損害賠償金として、金四、六六三、五〇〇円およびこれに対する不法行為の日の翌日である昭和四三年三月二七日以降完済まで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

六、甲斐沢誠に過失があつた旨の被告らの主張は争う。」と述べた。〔証拠関係略〕

被告ら訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁ならびに抗弁として、

一、原告主張第一項記載事実は認める。

二、同第二項(一)記載事実中、被告永井が本件自動車を自己名義で購入し、事故当時代金支払いが完了していなかつたので、その所有権が日産サニー長野販売株式会社にあつたこと、被告東洋通信が当時貨物自動車二台、乗用自動車一台を、また被告信州電子が貨物自動車一台を所有していたこと、被告永井が昭和四一年九月頃普通自動車免許を取得したこと、以上の事実は認めるが、その他の事実は否認する。本件事故当時、被告東洋通信は前記各自動車を所有使用していたほか、信州名鉄運輸株式会社、近鉄大一トラック株式会社、安曇観光タクシー株式会社に委託して右会社所有の貨物および乗用自動車を使用していたのであつて、本件自動車を被告東洋通信用に使用したことはない。被告信州電子もその所有の貨物自動車を使用するほか、前記各自動車を委託利用していたものであつて、本件自動車を被告信州電子用に使用したことはない。被告両会社の作業については附近の下請業者多数を使用しており、その各下請会社がその所有の貨物および乗用自動車によつて資材、製品、半製品その他を被告両会社に搬入、持出していたものであつて、これについても本件自動車を使用したことはなく、その使用を承諾したり黙認したことはない。本件自動車は被告永井が自分で日産サニー長野販売株式会社から代金五二〇、〇〇〇円で買受け、本件事故当時代金残一一二、〇〇〇円の債務があつたが、事故直後自動車を第三者に売却して残代金を支払つた。被告両会社は被告永井の免許に要する費用を負担したことはなく、被告永井自らこれを負担して支払つて来たものであり、被告永井は本件自動車を専ら個人用のみに使用し、被告両会社用に使用したことはないし、被告両会社は本件自動車の燃料代を負担したことはなく、会社のチケツトの使用を許したこともない。なお、被告永井は昭和四一年五月被告東洋通信を退社し、同年六月被告信州電子に入社したものであつて、その後は被告東洋通信から給与その他の報酬を受けたことはない。そして、被告永井は当日午後七時四〇分頃、坂井義行方に赴いて材料ポリウムを渡した後会社の後輩である降旗英喜から結婚一周年記念の夕食会に招待されていたので、松川村緑町の同人方に赴き同人方で二時間ばかり食事や雑談をした後、午后一〇時二〇分頃同人方を辞去して自宅に帰る途中、本件事故を惹起したものであるから、被告信州電子の用務と何ら関係なく、いわんや被告東洋通信の用務とは全く関係なく本件事故を惹起したものであるから、被告両会社には何らの責任がない。

同第(二)項記載事実中、被告永井が被告信州電子に雇傭されていたことは認めるが、その他の事実は否認する。被告永井は前記のように本件事故当時被告東洋通信と何ら関係がなく、使用人でもないから、原告の被告東洋通信に対する請求は失当である。また、本件事故は被告永井が自己所有自動車を運転中に惹起せしめたものであつて、その自動車は被告信州電子の所有でなく、被告永井は、前記のように被告信州電子の業務と関係なく本件事故を惹起せしめたものであるから、被告信州電子に対する請求も失当である。なお、被告永井は被告信州電子のベルト責任者とはなつたが工場長となつたことはない。

同第(三)項記載事実は否認する。本件事故は被告永井の過失によるものでなく甲斐沢誠の過失によるものである。すなわち、甲斐沢誠は、事故前割烹「みかど」、カフエー「ポニー」、バー「ミズタマ」等で多量に飲酒し深く酩酊したので、酔いをさますため、本件現場の西側小道から東側小道に向つて横断して二木鱒池方面に向おうとして、対向車が高速度で過ぎ去つた直後、国道の東側に飛び出したため、被告永井は当時時速五八キロメートルで前方を注視しながら進行していたけれども、右のような突然の飛び出しにより、急拠ハンドルを左に切つて急停車の措置をとつたが及ばず本件事故が発生したものである。そして、甲斐沢誠は、横断歩道でもないところを横断し、酩酊のため対向車のみに気をとられ被告永井の車に気がつかなかつたものであつて、もし誠が本件自動車と同一方向(南方向)に向つて歩いていたとすると、同人は道路の右側を歩かないで左側通行をしていた過失がある。

三、同第三項記載事実中、甲斐沢誠の経歴、身分、地位、給料、原告との関係は不知、その他の事実は否認する。

四、かりに、本件事故について被告永井に過失があつたとしても甲斐沢誠にも前記のような過失があり、この過失は被告永井の過失より大であるから、本件損害賠償額算定につき誠の右の重大な過失を斟酌すべきである。」

と述べた。〔証拠関係略〕

理由

甲斐沢誠が昭和四三年三月二六日午后一〇時二五分頃、長野県南安曇郡穂高町四、五〇八番地先国道一四七号線道路を歩行中、大町市方面から豊科町方面に向つて進行して来た被告永井の運転する本件自動車に衝突され、脳底骨折の傷害を受けて即死したことは当事者間に争いがない。

〔証拠略〕を綜合すると、被告永井は被告東洋通信豊科工場の製造課主任としてラジオマウント製造部門を担当していたものであるが、昭和四一年六月被告東洋通信の前記ラジオマウント製造部門が独立して被告信州電子が設立され、これに右業務が引継がれると同時に同会社に出向となり、被告信州電子常盤工場の事実上の責任者(工場長)として働いていたこと、被告信州電子が設立され独立することになつたのは、前記ラジオマウント製造部門は被告東洋通信において利益の薄い部門である関係上、これを賃金体系の異る(安い)別会社を設立して、パートタイムの利用その他によりこれを処理させるのが得策であるとの判断から、被告東洋通信の幹部職員の一部を株主ないし役員として設立されたものであつて、被告信州電子は実質上被告東洋通信の事業の一部門に過ぎず、別会社といつても、それは被告東洋通信の完全な従属小会社であること、したがつて、被告永井が被告信州電子に出向したといつてもとくに別会社へかわつたといつた意識はなく、被告信州電子の社員としてとともに相変らず被告東洋通信の社員として働き、現にその給料は被告東洋通信豊科工場で支払いを受けていたこと、ところで、本件自動車は被告永井が個人で日産サニー長野販売株式会社から昭和四二年六月割賦支払い方法、代金支払完了まで所有権留保の約定で買受けたものであるが、当時被告東洋通信には貨物自動車二台、乗用車一台、被告信州電子には貨物自動車一台あるだけで使用できる車が不足していたこともあつて、本件自動車は単に被告永井の豊科町の自宅から信州電子常盤工場までの通勤用に利用されるだけでなく、少くとも被告永井の出勤日においては、被告東洋通信ないし被告信州電子の暗黙の了解の下に、その通勤の往路は、被告東洋通信から被告信州電子その他への部品の配達に、就業中および終業後帰路においては、下請外注先への不足部品の配達あるいは技術指導のためなど、被告信州電子ないし被告東洋通信のため随時本件自動車が利用され、現に本件事故当日も朝出勤途上は被告東洋通信豊科工場から信州電子常盤工場その他に届けるべき部品等を本件自動車後部荷台に積んで運搬し、夕刻帰宅途上は下請先である坂井義行方に不足部品を届けるため午后七時半頃信州電子常盤工場を出発し、右坂井方に赴いて右不足部品を渡すとともに午后一〇時頃まで同人方で技術指導を行い、その帰途本件事故が発生したものであること、そして、右のように本件自動車が被告信州電子ないし被告東洋通信のため利用されていることの見返りとして、被告信州電子は会社のチケツトで月にガソリン満タンで二回位本件自動車に入れることを許し、なお被告永井が運転免許を取得した昭和四一年九月頃その教習料のうち金二〇、〇〇〇円は被告東洋通信が負担したこと、以上の事実が認められ、〔証拠略〕中、右認定と抵触する部分は前掲証拠と照合すると容易に信用できないし、他に右認定を左右する証拠はない。

右認定事実によると、本件自動車の利用状況は、被告永井の自宅から被告信州電子常盤工場まで、また同工場から被告永井の自宅までの通勤の往復を含めて、本件自動車の利用を必要としその利用の利益を享受しているものは単に被告永井だけではなく、被告永井の勤務する被告信州電子ないしこれと実質上同一体である被告東洋通信もその利用を必要としその利用による利益を享受しているものと認められるから、被告信州電子ないし被告東洋通信は、自動車損害賠償保障法の基調をなす危険責任、報償責任の法理からみて、被告永井による本件自動車の運行につき少くとも出勤日の限度で通勤の往路、帰途を含めて、同法第三条所定の「自己のため自動車を運行の用に供する者」としての責任を免れないものというべく、そして本件事故当時の本件自動車の具体的運行につき被告らの運行支配、運行利益の帰属を否定すべき事情は見当らない。

被告らは、本件事故は、甲斐沢誠が対向車の通過直後、突然被告永井の進路に飛び出したため、被告永井が適法な速度で前方を注視しながら進行していたのに、本件事故が発生してしまつたものである、と主張するが、〔証拠略〕中、右主張に符合する部分は、〔証拠略〕と照合すると容易に信用できないし、他に右主張を認めるべき証拠はない。かえつて、〔証拠略〕によると、被告永井は、自動車運転手として常に前方に注意を払い事故発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、本件衝突現場から約四〇米前で対向車二台の前照灯により前方注視がやゝ困難になつたこともあつて右前方注視義務を怠り、甲斐沢誠が飲酒のうえ道路中央附近の進路前方を同一方向に歩いているのを約一〇メートル位前ではじめて発見し、あわてゝハンドルを左に廻す措置をとつたが間にあわず本件事故を惹起したことが認められる。

そうすると、被告らは各自いずれも原告に対し甲斐沢誠死亡による損害賠償義務を免れないところ、〔証拠略〕を綜合すると、甲斐沢誠は、原告と亡甲斐沢正治との間の次男として昭和一九年七月三一日出生し、池田農業高校卒業後、茨城県所在鯉渕学園(二年過程)で畜産技術を修得し、昭和四〇年五月一二日以降豊科町所在安曇農業協同組合に就職し、同組合穂高事業所畜産指導員として勤務していたこと、事故当時満二三歳七ケ月の健康な男子で、右組合から基本給として月額金二一、〇〇〇円、残業手当、宿日直手当として平均一箇月当り金一、七四五円の支給を受けており、そのほか期末手当および賞与として年間平均金一一六、八三六円の支給を受けており、今後停年である満五五歳まで三一年間余の間は少くとも右と同額の給与を受けられる筈であり、他方同人の一箇月当りの現在および将来の生活費は金一二、六〇〇円以内であること原告は夫正治の戦死後独力で長男正、次男誠を養育し、現在正夫妻と共に三町歩位の農業を営んで生計を維持している者であるが二人しかない子供のうちの一人、しかもとりわけ親孝行であり原告が可愛がつていた誠が、ようやく安定した職を得て人生の花を開かせようとしていた矢先に路上の屍と化した無念を考え筆舌に尽し難い苦痛を味わい、ことに事故後原告の賠償請求に対して被告らが調停の際等でとつた不誠実な態度によつて、その心労と苦痛にははかり知れないものがあつたこと、以上の事実が認められ他に右認定を左右する証拠はなく、なお、甲斐沢誠が酩酊のうえとはいえ、夜間自動車交通の少くない国道一四七号線の、しかも歩行者が通常歩行する場所ではなく、対向車ある場合運転者にとつてみえにくい道路中央附近を漫然歩行していたことは、今日の道路交通事情の下では甚しく危険な行為であり、このことも本件事故と大きな関係があると認められるので、この点は被告永井の過失とともに本件損害賠償額算定にあたつて考慮されるべきことは当然である。

そこで、右認定事実にもとづき本件事故による損害賠償額を算定すると、まず甲斐沢誠の得べかりし利益喪失による損害は、

{(21000+1745)×12+116836-(12600×12)}×18.42147049=4394920の新ホフマン式計算により金四、三九四、九二〇円余となるが、前記被害者の過失を考慮し金三、五〇〇、〇〇〇円の請求を認めるのが相当であり、甲斐沢誠の死亡による精神的苦痛に対する慰藉料額および原告自身の誠死亡による固有の慰藉料額は、前記認定事実その他本件諸般の事情を考慮すると、前者については金一、二〇〇、〇〇〇円、後者については金一、〇〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。そして甲斐沢誠自身について発生した得べかりし利益喪失による損害、慰藉料請求権は原告がこれを相続したものであり、なお原告が自動車損害賠償責任保険により本件損害賠償請求金中金三、〇〇〇、〇〇〇円の支払いを受けたことは原告の自認するところである。

そうすると、原告の本訴請求は合計金二、七〇〇、〇〇〇円および、これに対する本件事故の翌日である昭和四三年三月二七日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度においては正当として認容すべきであるが、その余は失当であるから棄却すべきである。

そこで、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条、仮執行宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 篠原幾馬)

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